つねに興味を持つことで

座席のテーブルを出すには・・? by Zf

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不親切か?楽しむか?

外国で電車に乗ったとき、座席にテーブルが付いていました。
なかなかかわいらしいデザインです。

テーブルを出して使おうとしたのですが、特に何も書いていません。

この見た目から想像して、個人的にはこう動いてほしい。

そう思ってスライドしようとしますが、動きません。

よく分からずに触っていると、動きました。

こうきたか。

これを不親切と思うか?楽しいと思うか?

私は楽しいです。

こと細かい注意

日本の電車は親切(?)すぎます。
細かすぎます。

日本は、細かな注意書きがあります。
トラブルが起きないように、という配慮(?)です。

それでトラブルが起きると、
「どこに書いてあるの?」
「この書き方じゃ分からん!」
「10kg以上のものを置けるようにしてよ!」

あっちの客からも、こっちの客からもクレームが来ないよう・・
と言う発想になり、さらに細かく、回りくどく、意味不明になっていきます。

自分で考える、判断する

以前から思っているのですが、
「事細かく注意する」→「自分で考えられなくなる」
となります。

「10kg以上のものを置かないでください」というのがなくても、

「このテーブルにそんなに重たいものは乗らんな」という判断をするか?

「特に重さが書いていないんだから(それは鉄道会社の落ち度)、何乗せても平気っしょ」「10kg以上のものを乗せて壊れても、乗せられないこのテーブルを何とかしないオマエが悪い」となるか?

「ちょっと考えればわかるよね」ということが、なかなか通じにくくなっているように感じます。

それはやっぱり
「注意書きが多すぎる」
「子供の頃から親にいろいろ注意されている」
というものの弊害なんだと思います。

どんどん自分で考えなくなる、意見を言えなくなるのです。
コミュニケーションが欠如して、自分勝手になっていきます。

何も書いてなければ、人に聞く、自分で考える、となるでしょう。
人に聞いたり、コミュニケーションを取る、ということも身についてきます。
無意識のうちにそういう訓練がされ、考えることが身についてきます。

「これはどうするんだ?」
「なんでこうなってるんだ?」

ちょっと周りを見渡せば、いくらでもそういうものはあります。
少し意識してみると、不平不満が、興味、好奇心に変わっていきますので。

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